神社の格付け制度はかつてはありました。
神社の格付けは制度は平安時代から昭和二十一年までありました。
かつて日本全国の神社には社格といわれるランク付け制度のようなものがありました。
その制度は平安時代からあり、日本の敗戦後の昭和二十一年にGHQによる神道指令によって
廃止されるまで続いていました。
その後も制度は廃止されても、思想は現在でも受け継がれています。
式内社・官幣社・国幣社・大社・小社・明神大社
格付けの名残として、今でも神社に「式内社(しきないしゃ)」、「官幣者(かんぺいしゃ)」、
「国弊社(こくへいしゃ)」、「一の宮」などの表記を見ることがあります。
これらは神社の格付けの名残で、「社格」とよばれていました。
もともとは平安時代中期に定められた「延喜式(えんぎしき)」という律令の施行細目にある
格付けで、「式内社(しきないしゃ)」というのは「延喜式」で取り上げられた「延喜式内社」と
いう意味です。
式内社は「官社(かんしゃ)」と呼ばれ、「官幣社(かんぺいしゃ)」と「国幣社(こくへいしゃ)」
に分けられます。
官幣社は朝廷の祭祀を司る神祇官(じんぎかん)から奉納を受け、国幣社(こくへいしゃ)は
中世の地方行政にあたる「国」の行政官である「国司」から奉納を受けます。
わかりやすくいうと官幣社は中央省庁の役人から奉納を受け、国幣社は地方自治体の役人から
奉納を受けるといったところでしょう。
官幣社と国幣社はさらに大社(たいしゃ)と小社(しょうしゃ)に分けられ、大社の中から国家の
ために特別の祈願を行う明神大社(みょうじんたいしゃ)が決められました。
一の宮・二の宮・三の宮・総社
平安時代に律令制度が崩壊し始めると、一の宮や総社(そうじゃ)という神社が成立します。
国司は赴任するとその国の神社を巡拝する義務があり、順番もその国の民の信仰が篤いと思われる
順だったといわれています。
国司が巡拝する順に「一の宮」、「二の宮」、「三の宮」と決まり、「六の宮」まであったと
いわれています。
しかしこのやり方は煩雑で金がかかる行事のため、やがて国の神社を一か所に集めて祀るように
なりました。
これが「総社」といわれるものです。
明治4年から昭和二十一年まで延喜式制度が一度復活しました。
明治4年になると約千年ぶりに延喜式(えんぎしき)制度が復活します。
官社が定められ、神祇官が所管する官幣大・中・小社と地方官が所管する国幣大・中・小社に
分けられ別格官幣社も決められました。
官社以外は府社・郷社・村社・無格社に分けられ、全国的な社格制度が確立されました。
しかし、昭和二十一年に日本の敗戦とともにGHQによって廃止となりました。