神様になった偉人

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神様になった偉人たち

 

自然神は人間の意思とは関係ないところで発生しますが、人神は生きている人間との

関係において発生するものといえます。

 

多くの場合は生前に偉大な功績を残した人物の遺徳を、生きている人たちが敬い、

その精神性を伝える霊魂を大事に祀って尊ぶといものだと思います。

 

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歴史に名を残した偉人を祀っている主な神社

 

稗田阿礼(ひえだのあれ)  奈良県 大和郡山市 売太神社(めたじんじゃ)

 

天武天皇の命を受け、「帝記」「旧辞」を暗記し、元明天皇の代に太安万侶(おおのやすまろ)と

一緒にわが国初の歴史書「古事記」を編纂した人物です。

 

祀られている売太神社はもともと天鈿女命(あめのうずめのみこと)を遠祖とする猿女君(さるめのきみ)

の稗田一族の祖神祭祀の神社でした。

 

阿礼が抜きんでた記憶力を持っていたことから、学問の神様として信仰されています。

 

太安万侶(おおのやすまろ)   奈良県田原本町 小社神社(こもりじんじゃ)

 

太安万侶は「古事記」編纂の際、稗田阿礼が暗誦する伝承を、すぐれた漢文の知識によって

筆録したことから、祀られている小杜神社は学問守護の信仰があります。

 

藤原鎌足(ふじわらのかまたり)   奈良県桜井市 談山神社(だんざんじんじゃ)

 

藤原鎌足は藤原氏の始祖で、死後に桜井市の多武峰(とうのみね)に妙楽寺が建立され、

明治の神仏分離で談山神社と改称しました。

 

神社名は大化改新(645年)の際に、鎌足と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が蘇我入鹿

(そがのいるか)暗殺を談合したことで、後に多武峰が「談の山」と呼ばれたことに由来する

といわれています。

 

徳川光圀(とくがわみつくに)  水戸黄門

茨城県水戸市常盤町  常磐神社(ときわじんじゃ)

 

徳川光圀を祀る常磐神社は、明治六年(1873年)に社号が定められ、翌年に社殿が建立された

もので、幕末に活躍した水戸藩第九代藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)も祀られています。

 

徳川光圀生誕地には水戸市内に水戸黄門神社があります。

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)   兵庫県赤穂市 大石神社

 

大石内蔵助を祀る大石神社は、明治三十三年(1900年)に創立、大正元年(1912年)に

赤穂城内の大石邸跡に社殿が建立され、一緒に四十七義士命が祀られています。

 

二宮尊徳(にのみやそんとく)

神奈川県小田原市 報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)

 

二宮尊徳(金次郎)は、江戸末期の農政・財政家で、独自の報徳思想にも基づいて

疲弊した農村や農民の再興に尽力しました。

 

その功績を顕彰するものが報徳二宮神社で、終焉の地の栃木県日光市にも祀られています。

 

佐久間象山(さくましょうざん)   長野県松代町 象山神社(ぞうざんじんじゃ)

 

佐久間象山は、幕末の松代藩士で、思想家として開国論・公武合体論を説き、吉田松陰、勝海舟、

坂本龍馬、などに影響を与えましたが、尊王攘夷派によって京都で暗殺されました。

 

象山神社は昭和十三年に創建されました。

 

吉田松陰(よしだしょういん)

東京都世田谷区、  山口県萩市 松陰神社(しょういんじんじゃ)

 

吉田松陰は幕末の思想家・教育者で、安政の大獄で刑死後、長州藩主別邸跡にあった

墓所のそばに門弟たちによって明治十五年(1882年)に松陰神社が建立されました。

 

また生誕地の山口県萩市にも松陰神社があります。

 

坂本龍馬(さかもとりょうま)

京都市東山区  京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)

 

坂本龍馬が祀られている京都霊山護国神社は、慶応四年(1868年)に明治天皇の命で

維新の前に殉職した志士たちを顕彰し、その霊を鎮魂するために京都東山の霊山山頂に

公家や諸藩によって祀られたのが創祇です。

 

西郷隆盛(さいごうたかもり)

鹿児島市上竜尾町  南洲神社(なんしゅうじんじゃ)

 

西郷隆盛を祀る南洲神社は、明治十三年(1880年)に参拝所として建立されたのが創祇で、

西南戦争(1877年)の西郷軍の戦死者を埋葬する南洲墓地の隣に鎮座しています。

 

 

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