式年祭は数年~数十年に一度行われる神道行事
伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度社殿を新調し、ご神体を遷します。
式年遷宮は20年に一度、正殿、本殿をはじめ、宝殿、御垣、鳥居、別宮の諸社殿などを含めた
60数棟のすべてを造り替えます。
そのためたくさんの宮大工が動員され、約8年の歳月が費やされます。
式年遷宮の歴史
遷宮を発意されたのは672年に即位した天武天皇で、次の持統天皇の時に願いが果たされます。
690年に内宮、692年に外宮の遷宮が初めて行われて以来、中断はあったものの、1300年以上
続けられています。
式年遷宮の意味
社殿を定期的に新しく造り替えることにより、常に同じ姿形が保たれ、永遠の存在を表します。
式年遷宮の主な流れ
遷宮の祭祀は式年にあたる年だけなく、式年の八年前に用材伐採の安全を願って、「山口祭」が
行われます。
以降、作業工程に合わせて八年間に30の諸祭行事が行われます。
式年の10月に勅使が参向し「遷御の儀」というものがおこなわれます。
暗闇の中、100人以上の神職が御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)を手にして付き添い、
神を新宮に遷します。
同じ時刻に、天皇陛下は皇居で伊勢に向かって遙拝(ようはい)されます。
その後、大御饌(おおみけ)といわれる新宮での初めての神の食事や幣帛(へいはく)と
よばれる供えものを奉る祭祀が行われます。
諏訪大社の御柱祭(おんばしらさい)は7年に一度、宝殿の建て替えと、御柱の曳き建てを行います。
御柱祭の歴史
長野県諏訪大社の「御柱祭(おんばしらさい)は7年に一度寅・申の4月・5月・6月に行われる
祭りです。
宝殿の建て替えと、社殿四隅に御柱と呼ばれる大木の曳き建てが行われます。
御柱祭は平安初期・桓武天皇の時代の記録が残されていますが、いつごろから始まったのか
はっきりしていません。
御柱祭の主な流れ
御柱となるのは、モミの大木で、祭祀の三年前から御柱とする木を見立て、のちに伐採します。
山だし
祭は「山出し」といって山で伐りだした長さ十数メートル重さ約十トンほどの御柱を合計16本
里へ曳き出すことから始まります。
そろいの法被に腹掛けをつけた氏子たちが、木遣り歌とともに、声を掛け合いながら御柱をゆっくり
と曳き出します。
途中「木落し坂」という難所が立ちはだかり、大木が猛烈な勢いで滑り落ち、大木に乗った若者が
次々に振り落とされるといった荒々しい場面が見どころにもなっています。
山から曳き出された御柱は、上社の御柱屋敷と下社の注連掛(しめかけ)まで曳かれて、1か月ほど
安置されます。
里曳き
1か月後、「里曳き」といって御柱が街中に曳き出され境内へ向かいます。
境内に御柱が建てられることを「建御柱(たておんばしら)」といいますが、
その際に御柱の先端を三角錐に切る「冠落とし」を行ない、10人の氏子が、柱に乗って声を掛け合い
ながら豪快に建てます。
市内では舞や踊り、騎馬、装束をまとった人々が行列をなし、山出しとは違った華やかで豪華な
雰囲気となります。
鹿島神宮の神幸祭(じんこうさい)と香取神宮の三船祭(みふねさい)は12年に一度、神輿と船で2柱の神が出会います。
利根川をはさみ東の鹿島神宮、西の香取神宮の行事がほぼ同じように進行します。